茶功とは
お茶を、嗜好品の手前でとらえ直す
お茶は長いあいだ、薬として扱われてきました。栄西が『喫茶養生記』に「茶は養生の仙薬なり」と記したように、茶は身体を整えるためのものであり、同時に禅の実践と分かちがたく結びついていました。
茶功アカデミーが扱うのは、その「実践としてのお茶」です。茶葉を選び、湯を注ぎ、飲む。この一連の動作を、身体をひらき、自らを整えるための手続きとして組み立て直していきます。
茶功という捉え方
お茶が私たちに働きかける道筋には、二つの層があります。ひとつは、お茶という植物が身体と心に直接およぼす作用。もうひとつは、メタな概念としての「茶文化」が、個人と人間社会に与えてきた影響です。
この二つを貫いて流れているものを、茶功アカデミーでは「茶功」と呼んでいます。お茶を起点として生まれる、目に見えないエネルギーの流れです。
茶道の所作にも、山岳民族の茶の儀式にも、家庭の茶の間にも、静謐で儀式的な、そして普遍的なプロセスとして、同じものが働いていると考えています。それがどの時代においても、人と社会を整えてきました。
ひとくちに「お茶」といっても
お茶を知ろうとすると、思いのほか遠くまで行くことになります。
一杯の味は、茶樹が育った土地の気候と、そこで積み重ねられてきた暮らしのかたちに支えられています。葉をどう摘み、どう揉み、どう乾かすかで、含まれる成分は変わる。成分が変われば、身体と脳への働きかけも変わります。そして、飲むというごく短いふるまいのなかで、味と香り、湯の温度、身体の反応、そのときの心の在りようまでが一度に立ち上がります。ただ喉を潤すだけの行為では、とうていありません。
だからでしょうか。人はこの行為に、飲むこと以上の意味を託してきました。茶の湯の作法にも、山あいの村に伝わる儀式にも、客人に一杯を差し出すという何気ない習慣にも、それは表れています。茶文化と呼ばれてきたものは、どの時代のどの土地においても、儀礼と隣り合わせで育ってきました。
茶の道
歴史をたどっただけでは、湯の温度は決められません。成分の名前を覚えただけでは、その一杯が自分にどう届くのかは分かりません。手を動かしてはじめて腑に落ちることがあり、背景を知ってはじめて意味を持つ所作があります。
知識と経験、そしてその両方を支える教養。どれが欠けても、お茶は半分しか姿を見せてくれません。
講座「基礎編」の全33回は、そのあいだを行き来できるように組み立てました。順に見ていくこともできますし、気になる回だけを選んでいただいても構いません。
案内役 — K.Koba
お茶の世界に入るきっかけは、ベトナムでの暮らしでした。
現地の茶と茶文化に親しむうちに、北部の山岳地で一杯のお茶に出会います。それまで自分が知っていたお茶とは、まるで別のものでした。この一杯に打たれて、私はお茶の世界に飛び込むことになります。
帰国後は研究機関で、お茶の専門分野を学びました。
関わりを深めていくなかで、関心は身体の健康だけにとどまらなくなっていきます。お茶は心にも、さらにはスピリチュアルな次元にも作用しているのではないか——そう考えるようになりました。
そして、人の心身とスピリットの健康が日々の食事と生活習慣に支えられているのだとすれば、茶文化圏においてその大きな部分を担ってきたのは、ほかならぬ茶文化そのものではないか。そう直感したのです。
この直感をたどった先にあったのが、先に述べた「茶功」という捉え方でした。
お茶が持つ多義的で広範な影響力に、私は魅力と可能性を感じています。この茶功をもっと積極的に使えるものにしていきたい。茶功アカデミーは、その探究の場です。
著書
- 『新アジア食文化人類学 飲茶に関わること』(Kindle)— ベトナム山中の古茶樹、中国と日本の飲茶の違い、イランの日常の喫茶風景など、アジア各地の茶をめぐって
- 『チャノキとヒト 僕らの在り方を伝える植物』(Kindle)— 一本の植物としてのチャノキから、人の在り方を読み解く
- 『白の中の赤 南インドの食事観』(Kindle)— 南インドの食卓に流れる、色と味をめぐる秩序について
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